読書のすすめ

成績のいい子は読書好き

成績を伸ばすなら読書で学習しよう。読書で言語能力アップ。

知的能力の中核は、読み書きを基軸とした言語能力です。俗に頭がいいとか、高い知能を持っていると言われているのは、言語を思考の道具として自由に駆使したり、多彩に概念を操作できる能力が優れているということなのです。

スポーツに例えるなら、言語能力というのは体力にあたるものです。野球やバレーボール、サッカーなどのスポーツでは、走ったり、跳んだり、投げたりという体力がなければなかなか上手くなりません。ですから優秀なコーチやトレーナーは技術を教える前に、まず、体力づくりに力を入れます。

勉強でも、「塾だ」「家庭教師だ」という前に、言語能力をつけなければ、基本的に学力が向上することはありません。

この能力はうまれてから後の、言語環境の善し悪しによって決まってきます。学齢前に形成される言語能力は、主として親の使う言語の質によって定まりますが、それ以降は読書によるところが大きいようです。子供達の中に、それほど勉強している風でもないのに成績のいいという子がいます。彼等は全てといってよいほど読書好きです。

子供の学習能力の核は”言語能力”

成績を伸ばすなら読書で学習しよう。読書で学習能力を高めよう。

新しく学力を身につけるには、新しい教材として提示された文章なり、問題を読み取らなければなりません。全てにわたって先生が、一から十まで読んでくれるとは限りません。算数の問題でも、いつも親切に、全部逐一解説してくれるわけなどありえないことです。

新しい学力、高い学力を獲得しようとすれば、必ず、まずもって読む力が前提条件としていります。読むこと抜きには、新しいことを一切学ぶことはできません。逆にいうこともできます。文章を正しく読み取る力があれば、指導や援助が不足していようとも、一人で新たな学力、高い水準の学力を身に着けていくことができるのです。

また、読書好きな子は、頭の中にイメージを描く能力が、ぐんぐんついていきます。日々、学校で分かち与えられる系統的な教科学習によって、子供達の学力は次第についていくのですが、その場合、イメージ能力が乏しければ、学力はあまり伸びていきません。文字を意味のあるように有機的に配列したのが文章ですが、その文章に表現してある中味を、具体的に、場面なり情景として想起し、再構成しえる能力、すなわち想像力が哀れでは、思考することはできません。書き言葉なり、文章を、リアルにイメージ化できるかどうかは、学力獲得と定着度を左右する分岐点です。

読書嫌いの子は、このイメージ化がすこぶる苦手なのです。幼児、ありありと情感のある話を聞かせてもらったり、そんな本を読んでもらったりした経験のない子は、どうしても本好きになりにくいようです。それより、目で見えるテレビやマンガの方にひかれるのです。それは、イメージを思い浮かべるといった手間をかけずにすむからです。

子供の学力の核心は言語能力です。その言語能力を育てる最も効果的な方法は、子供を読書好きにすることをおいて、ほかにありません。塾にやる時間とお金があれば、それを読書に注ぎ込むことです。その方が、はるかに子供の学力を伸す上で、顕著な効果が上がります。

読書は最も卓越した自己教育運動

では、どうすれば子供を読書好きにすることができるのでしょうか。ここで気をつけなければならないのは、成果を焦らないことです。あくまでも最初は、子供が本に親しむように仕向けることを目的とすることです。どうせ読ませるなら教養が身につく本をとか、文学小説をとかいうと、なかなか長続きしませんし、子供は嫌がります。マンガも読まないという子なら、最初はマンガから初めてもよいのです。その子の趣味なり、好きなテレビ番組など、子供自身が興味を持っている分野の本から始めることです。

 また、本は最初の20~30ページが状況設定や人物紹介になっていますから、読み慣れない子は、この時点で嫌になってやめてしまいます。本当のその本の面白味をしらずに断念しているわけです。ですから最初は、テレビや映画などで、既におおよその設定や進展を知っている本から始めるのも効果的だと思います。

 読書は、人が自らの知的能力を高め、自らを啓発し、自らの展望を切り開く最も卓越した自己教育運動なのです。いったんその楽しみや喜びを知った人は、生涯を通じて読書好きとなります。常に自己教育、自己変革を積み重ねていきます。今のところ低学力でいる子供でも、打ち込んで読める本に巡り逢いさえすれば、もりもり読書をするように劇的に変わります。本を読む楽しみや素敵さを味わった子は、読書にやみつきとなり、終生、自己教育運動を推進していきます。